「答え」ではなく「問い」を大切にするAI教育
AI技術の急速な発展により、私たちは瞬時に「答え」を得られる時代を迎えました。しかし、教育の観点から見ると、この便利さが子どもたちの学びにとって必ずしもプラスになるとは限りません。真に重要なのは「答え」そのものではなく、答えにたどり着くまでの「問い」と思考のプロセスなのです。
「正解」偏重教育の限界
長い間、日本の教育現場では「正解」をいかに早く、正確に見つけ出すかという能力が重視されてきました。テストで良い点を取ること、決められた時間内により多くの問題に「正しく」答えることが学習の中心となっていました。
そこへ登場したのが、ChatGPTのような生成AIです。これらのAIは驚くべきことに、多くの問いに対して瞬時に「正解らしき答え」を提示してくれます。複雑な計算問題、歴史の年号、英文の翻訳、さらには読書感想文のアイデアまで、これまで時間をかけて調べていたことや、自力で考えなければならなかったことに対する「答え」が、いとも簡単に手に入るようになりました。
しかし、この「答え」だけを簡単に手に入れるという行為は、果たして本当の「学び」と言えるのでしょうか?
「答え」だけでは育たない力
学びの本質は、単に「答え=知識」を記憶することにあるのではありません。むしろ、答えにたどり着くまでのプロセスにこそ、重要な意味があります。
思考プロセスの重要性
「なぜそうなるのだろう?」と疑問に思い、自分で仮説を立て、情報を集め、試行錯誤し、論理的に考えを組み立てていく。この一連のプロセスこそが、物事を深く理解し、応用力を身につけ、そして何より「考える力」そのものを鍛える訓練となります。
AIにすぐに答えを聞いてしまうと、この最も重要な思考のプロセスがごっそりと抜け落ちてしまいます。それは登山で山頂からの景色だけを見て満足し、自分の足で登る経験を放棄してしまうようなものです。
深い理解への道筋
簡単に手に入れた答えは、多くの場合、表面的な理解にとどまります。なぜその答えになるのか、他の考え方はないのか、といった多角的な視点や、知識同士の関連性を理解するには至りません。そのため、少し応用問題が出たり、状況が変わったりすると対応できなくなってしまいます。
学ぶ喜びの発見
苦労して考え抜いた末に「わかった!」と腑に落ちる瞬間。自分の力で新しいことを発見する喜び。これらは学びにおける大きなモチベーションとなります。しかし、常にAIから答えを与えられていると、このような達成感や知的な興奮を味わう機会が失われてしまいます。
「問答式」AI教育のアプローチ
こうした課題を解決するために注目されているのが「問答式」のAI教育です。これは従来のAIとは全く異なるアプローチを取ります。
答えではなく問いを返すAI
一般的なAIチャットボットに何か質問をすると、通常は学習したデータに基づいて、即座に最も確からしい「答え」を返してくれます。しかし問答式AIは、子どもが何かを尋ねると、すぐに答えを提示しません。その代わりに、「君はどう思う?」「それはどうしてそう考えたのかな?」「もう少し詳しく教えてくれる?」といった形で、子ども自身に問い返すのです。
例えば、子どもが「環境問題はどうやったら解決できるの?」という質問をした場合:
従来のAIは、個人・企業・政府レベルでの具体的な対策を詳細にリストアップして提示します。
問答式AIは、「環境問題を解決するためには、いくつかの方法があります。でも、具体的にどんな問題があるかを知ることが大切だよね。○○ちゃんは、どんな環境問題のことを考えていますか?」と、子ども自身の考えや視点を引き出すことから始めます。
思考を深める対話のデザイン
問答式AIとの対話を重ねる中で、子どもは自分の考えを言葉にし、根拠を探し、時には修正しながら、より深い理解へと進んでいきます。この「回り道」にこそ、子どもの思考力を本質的に鍛えるための重要な仕掛けが隠されています。
思考の言語化と整理
「どう思う?」「なぜ?」と問われることで、子どもは頭の中にある漠然とした考えを、具体的な言葉にして表現する必要に迫られます。この言語化のプロセスが、思考を整理し、明確にする上で非常に有効な訓練となります。
粘り強さと探求心の育成
簡単には答えにたどり着けない経験を通じて、子どもは粘り強く考え続ける力や、諦めずに探求する態度を身につけます。試行錯誤すること、多角的に物事を検討することの重要性を体感します。
対話例に見る問答式教育の効果
実際の対話例を見てみましょう。
子ども:「なぜ水は冷やすと氷になるの?」
問答式AI:「いい質問だね!水が冷やされて氷になるのは、温度が関係しているんだよ。まず、普段飲んでいる水は何でできているか知ってるかな?水を構成している小さな粒子や分子について考えてみよう。」
子ども:「知らない」
問答式AI:「それなら、まずそこから始めよう!水はH2Oと呼ばれる分子でできているよ。H2Oは、水素(H)2つと酸素(O)1つがくっついてできているんだ。さて、水が冷たくなると、これらの分子はどう動くと思う?温かい時と冷たい時で、その動き方が変わるかも知れないね。どう思う?」
この対話では、AIが一方的に説明するのではなく、子どもの理解度に合わせて段階的に問いかけ、子ども自身に考えさせながら理解を深めています。
現代版ソクラテス式問答法
この問答式アプローチは、古代ギリシャの哲学者ソクラテスが用いたとされる「問答法(ソクラテス式問答法)」の現代版とも言えます。ソクラテスは対話を通じて相手に気づきを促し、真理を探究させる手法を用いました。
問答式AIも同様に、子どもたちが自ら考え、発見する喜びを最大限に引き出すことを目指しています。すぐに答えを出すAIに慣れていると、問答式AIの対話は非効率に感じるかもしれません。しかし、目指しているのは単なる知識の伝達や効率的な答えの提示ではなく、子どもたちの「考える力」そのものを、時間をかけて、しかし確実に育んでいくことなのです。
未来を生きる力の育成
変化の激しい未来を生き抜くために本当に必要なのは、未知の問題に立ち向かい、自ら考え、解決策を生み出す力です。「唯一の正解」を早く見つける能力は、これからの社会で求められる能力とは必ずしも一致しません。
私たちが直面している環境問題、社会の分断、技術倫理といった課題の多くには、単一の「正解」など存在しないのです。必要なのは、様々な情報や価値観の中から本質を見抜き、多様な人々と対話し、協力しながら、より良い解決策を粘り強く模索していく力です。
まとめ:回り道こそが本質的な学びへの近道
問答式AIの対話は、回り道のように見えて、実は本質的な力を育むための最も確かな道の一つです。AIは使い方次第で、子どもたちの可能性を大きく広げる「知的な冒険のパートナー」となり得ます。
AI時代だからこそ、私たちは「答え」そのものではなく、そこに至る「プロセス」に価値を見出す必要があります。そして、AIをその「プロセス」を豊かにするためのツールとして活用していく視点が求められているのです。
「問い」を大切にするAI教育は、子どもたちが自らの力で考え、学び、未来を切り拓いていくための確かな基盤を提供してくれるでしょう。
投稿者:吉成雄一郎:株式会社リンガポルタ代表取締役社長。AIを活用した新しい教育システムの開発に従事。東京電機大学教授、東海大学教授を経て現職。コロンビア大学大学院ティーチャーズカレッジ修了。専門は英語教授法。英語に関する著書多数。さまざまな英語教材や学習システムを開発。